2010夏・ヒロシマ・ナガサキ(3)

 長崎の平和祈念式典では田上市長の平和宣言に感銘を受けた。平和宣言は被爆者を含む委員会で起草したと後で知ったが、言葉を飾らない市長の率直な物言いがストレートに胸に響いた。翌日の新聞かインターネットで是非その内容を確認していただきたい。オバマ大統領のプラハ演説をきっかけに、ようやく真っ当な主張が日の目を見られるようになった。英米仏もヒロシマナガサキを無視できなくなった。日本政府も唯一の被爆国の原点に立ち返って、核廃絶の旗振り役を、もっと素直に、もっと強く突き進むべきではないか。現実に迎合して「核抑止力」など云々する前に、あるべき姿、理想を主張し続けて欲しいと切に願う。政府に願うだけではなく、自分自身にも言い聞かせる必要がある。「核抑止力」という考えに与したことはないが、ともすれば「理想は迂遠」と絶望しかけ、生真面目な主張を諦めかけてしまう。そんな自分も戒めなければならない。

 式典が終わるやいなや驟雨に見舞われたが、そのまま永井隆記念館に足を伸ばした。私にとって原爆の悲劇を知る第一歩が、子供の頃読んだ永井隆著「この子を残して」だった。親が本を買ってきたのだったか、教科書に掲載されていたのだったか。原爆症で寝たきりの父親のために、給食のお椀を、こぼさないように摺り足でそろりそろりと持ち帰った幼い小学生のお嬢さん、茅乃さんのエピソードは、その挿絵まで覚えている。ところがそのお椀に何が入っていたのか、それは記憶に残っていなかった。今回記念館で改めて購入した文庫でわかった。パインジュースだった。戦後には珍しい貴重な飲料だったはずだ。だから父に飲ませたいと思ったのだろう。

ところで、永井博士の「原爆は神の摂理」という言葉が論争を呼び、強い批判に曝されたことはご存知だろうか。原爆投下を容認したという批判だ。あの惨劇の渦中で被爆者救援に命を削り、妻まで失った博士が、原爆を容認するなんてまさかと思う。それに私は博士の著書から充分に、原爆への怒りや悲しみ、反戦のメッセージを受け取った。信仰を持たない身にどこまでわかるか心もとないが、被爆から間もない頃の慰霊祭で発せられたというあの言葉は、恐らく、キリストの受難をわが身に重ねて、この現世の苦しみから立ち直ろうと信者を励ます、信仰の言葉、神への祈りなのではないだろうか。キリストと同じ苦しみを味わっていると思えば、そこに特別の意味が付与されて苦しみも和らぎ、信者の連帯感は強まり、絶望感からも少しは救われるかも知れないのだ。もし俗世の言葉で批判するなら、言葉尻ではなく、そういう発想をするカトリックそのものを批判の対象にするべきではなかっただろうか。

8月の長崎は何時にも増して暑かった。原爆の記憶のせいだけでなく、大河ドラマの影響だ。龍馬にゆかりの亀山社中、グラバー園、出島など、江戸や幕末を偲ばせる史跡はどこも解りやすく整備され、観光客で賑わっていた。グラバー園を巡るための長いエスカレーターや動く歩道、斜面を下るエレベーターなどには度肝を抜かれた。もちろん当時はなかったものだ。

 


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